私にしかできない旅を創る
SCROLL
会社を辞めて実家の植木屋を継ごうか迷っていた。
しかし30歳を目前にして、赴任先の九州でたまたま依頼されたとある企業の
ヨーロッパ褒賞旅行の仕事が、私の人生を変えた。
その仕事に出会っていなければ、
私はランドオペレーターの職を続けていなかったかもしれない。
ヨーロッパ褒賞旅行との
出会い
私にとって思い出深い旅、それは、今から20年以上前のことです。30代の頃、自分の手配によって、その後10年続いたある企業のヨーロッパ褒賞旅行の話です。20代がそろそろ終わろうとしていたとき、当時、ランドオペレーターとして勤めていた旅行会社が九州に営業所を設けることになり、1997年、担当として福岡に赴任しました。その会社は、ジャルパックの資本が入っていたため、私はジャルパックの福岡支店に机を置かせてもらい、支店の人たちの力を借りて、営業所の立ち上げに取り組んでいました。
そのとき、異例のことですが、日本航空から福岡にある企業の旅行の手配を依頼されたのです。要件は、営業成績の優秀な販売員をヨーロッパに招待する褒賞旅行でした。旅の目的地はスイスとオーストリア、期間は8日間。参加者は販売員50人とその同伴者の計100人。到着した日にウェルカムパーティー、最終日にフェアウエルパーティを開催し、旅の予算は、バブル景気が既に過去のものとなっていたあの頃にしては、珍しく潤沢な予算でした。「そんなに予算があれば、何でもしてあげられるじゃないか」と私は思い、引き受けることにしました。
やってやろうじゃない
私の新たなお客さまになった企業の旅行の担当者と一緒にヨーロッパに下見に行ってわかったのですが、褒賞旅行に対するお客さまの情熱は、なかなかすごいものでした。参加者を至れり尽くせりでもてなす企画をあれこれ要求されました。
それもそのはず、営業成績1位の人たちがヨーロッパ、2位はハワイ、3位はアジアの旅でした。トップクラスの販売員たちは、同社の売上と利益を支えている大切な人材なわけで、担当者の言動の端々に「販売意欲をかき立てるような魅力的な褒賞旅行にしたい」という熱い思いが感じられました。
同社はもともと褒賞旅行を他の旅行会社に任せていたのですが、どうも今ひとつ企画内容に満足できなかったようで、他の旅行会社を探していたのです。私は就職して以来、ヨーロッパ専門のランドオペレーターとして、それなりのキャリアを積んでいました。現地をたびたび訪ねては、方々に足を運び、現場を熟知しており、お客さまの細かな要望に応える自信はありました。それに、何より負けず嫌いで、要求が厳しいほど燃える性格でした。担当者の思いは、私を奮い立たせるのに充分な要望ばかりで、「やってやろうじゃないか」と、私を燃えさせたのです。
オーダーメイドの旅づくり
ランドオペレーターは、日本語にすれば「地上手配業務」です。通常はこの企業のような直接のお客さまではなく、旅行会社から依頼を受けて、宿泊するホテル、レストラン、バス等の交通手段、観光名所で歴史解説を担当するガイドの手配などを行っています。海外旅行では、往復の飛行機を除いて、あらゆる事柄を決め、準備することになります。
私たちの手配によって旅行されるお客さまは、実に多種多様です。海外の見本市に参加するビジネスマン、視察旅行に出かける議員や団体、スポーツの世界大会に出場する選手団、海外で日本文化を紹介するエキスポやフェスティバルの関係者、国際学会に出席する学者、修学旅行の学生……。多彩な顔ぶれのお客さまが、さまざま目的で旅行をします。いずれもパッケージツアーには収まりきらない旅で、いわば、個々のお客さまの要望に応える一品一品手作りの「オーダーメイドの旅づくり」が、ランドオペレーターの仕事といえます。
旅にストーリーを
旅は人の気持ちを豊かにするものです。褒賞旅行『魅惑のスイス・オーストリア8日間の旅』で、私は旅のストーリーを考えたのです。考えたテーマは「心と身体のリフレッシュ」でした。そのために、有名な観光地から少し足を延ばして、日本のツアーがまだ行っていない小さな村や美しい風景を訪ね、心が洗われるような時間を参加者に過ごしてもらうことにしました。
例えば、スイスとフランスの国境に位置するレマン湖のフランス側にイヴォワールという村があります。いつ訪れても家々の窓辺に真っ赤に咲いたゼラニウムの花が飾られている美しい村です。船着き場のそばにおしゃれなレストランが建っているので、船で着いて、まずは昼食を優雅に味わい、食後に村の通りをのんびり散策するプランを立てました。
こちらもフランス領ですが、アルプスの麓にヨーロッパ有数の透明度を誇る小さな湖、アヌシー湖があります。湖畔のアヌシーの町は、花の町コンテストで連続優勝したほどの美しさです。日本ではヨーロッパを何度も旅行した人にさえ、ほとんど知られていない町なので、訪れれば、きっとご満足頂けるだろうと確信していました。オーストリアの古都ザルツブルクでは、ミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』の世界を体験できるよう、午後、郊外の丘の上に出かけ、今も主人公マリア役が歌い踊っているかのような牧歌的な風景を眺めながらお茶の時間を楽しむことにしました。
その一方で、参加者に不平不満を感じさせることは些細なものでも避けたいと考えました。女性客の多い旅行では、買い物をする店の手配は極めて重要です。村の小さな商店をあてにしていては、いくら素敵な土産物があっても、レジが一つしかないため時間の制約で買うことができない人が出て、不公平が生じかねません。大人数の旅行では、土産屋の選択一つにしても気を使います。
そうした細かな点まで考慮して、旅のコースを決めるのが、ランドオペレーターの腕の見せ所です。今でもその時考えた旅の企画は、私の瞼に浮かびます。そんな私の思いが通じたのか、幸いにも私の企画と手配は担当者に好評で、ヨーロッパを巡る褒賞旅行は、参加者の方々に大変ご満足頂き、無事終えることができました。すると翌年も、そのまた翌年も、ヨーロッパの褒賞旅行のご依頼があり、私はさらに腕によりをかけた旅を手配し、一緒に同行し続けることになりました。九州に赴任して3年半後の2001年、私は異動で東京に戻ったのですが、同社のヨーロッパ旅行はお客さまから私へのご指名により、その後も10年間続くことになったのです。
家業を継ぐか悩んだ20代
振り返ると、やりがいのある、ランドオペレーター一筋の人生を歩んできましたが、正直申せば、就職した当初は、これほど長く旅行業界に勤めことになるとは思っていませんでした。
私は東京近郊の小江戸と呼ばれる街で、植木屋の三男として生まれました。子供時代、学校が休みになると父に仕事に連れて行ってもらい、父が剪定している間は勝手に遊び、昼に弁当を一緒に食べるのが楽しみでした。兄二人はどちらも植木屋になるふうではなかったので、父は私に家業を継がせたいと考えていたようです。私もなんとなく、それでいいかと思っていました。
しかし、高校を卒業すると「友達が行くから」という理由で、旅行の専門学校に進みます。1年生の冬、アメリカに語学留学し、ロサンゼルスからニューヨークまで旅をしました。建物も風景も見る物すべて、スケールの大きさに驚いたものです。そして、2年生の冬には、ヨーロッパを旅行したのですが、今度は街並みや文化に衝撃を受けました。このヨーロッパ旅行は、私をその後、徹底的にヨーロッパ好きにさせました。「卒業したら植木屋を継いでもいいや」と思っていたのが、がぜん、海外に興味が湧きはじめ、1987年、ランドオペレーターの会社に就職することにしたのです。
入社して仕事を覚え、駆け出しのランドオペレーターになったのですが、1991年、中東で湾岸戦争が始まると、日本からヨーロッパ方面へのツアーは激減。会社の経営は傾いて、社員は散り散りになり、私はジャルパック関連の旅行会社に移りました。ちなみに、この会社は20年後、ジャルパックと統合し、私は現在に至ります。会社を移ったとき、私は25歳。まだ、「ランドオペレーターを辞めて、家業を継ぐのもいいかな」と心の中で思い、毎日、悶々としながら仕事を続けていたのです。そして、気が付くと30歳になっていました。福岡赴任とヨーロッパ褒賞旅行の手配の依頼は、そうしたあやふやな気持ちを抱えているなかでの出来事でした。
現場で学び、
楽しむことでしか得られない「いい旅」
このヨーロッパ旅行の仕事は、私の人生を変えたのです。褒賞旅行を成功させ、お客さまに能力を認められた私は、ランドオペレーターとしての自信が生まれ、そして何よりもこの仕事の魅力に改めて気付きました。それまでと違ったのは、自分がご提供する旅のテーマや、ストーリーを考えることで、より深い思い出をお客さまに残して頂けることに気付いたのです。すると、「仕事を辞めて、植木屋を継ごうかな」などと思い悩むこともなくなりました。旅について考える自分自身も楽しくなっていったのです。
旅の仕事で難しいのは、いくら綿密に手配しても、現地のレストランの仕入れの都合などで、「注文しておいたメニューと違う料理が出てくる」といったケースが、起こることです。「バスの運転手が行き先の観光スポットを間違えた」「チャーター便が来ないかもしれない」といったトラブルで気を揉むこともあります。しかし誤解を恐れずに申せば、「旅にトラブルは付きもの」です。私はできるだけ、自分の手配した旅は、同行するようにしています。福岡の企業の褒賞旅行のヨーロッパの旅もすべて同行しました。現場に行って、全力で対応すれば、万が一何か起きたとしても、「ここまでやったのだから仕方ない」と、晴れ晴れした気持ちになれるからです。
私は部下に、「自分が企画した旅に、どんどん同行してきなさい」と言っています。よく製造業では三現主義といって、「現場・現物・現実」が徹底されています。旅だって同じですよ。自分の目で見て確認し、現場でしか起こり得ないリアルな現実を自分で体験することでしか、いい旅はできない。しかも、それを自分で楽しんでなんぼです。これが私の持論です。
- 1992年
- クリエイティブツアーズ入社 欧州地区ランドオペレーター
- 2011年
- 手配商品事業 海外ユニット
「誰かの旅を手配するだけでなく、個人的にも旅のテーマを持とうと思い、ヨーロッパに行くたびにワインを1本買って帰っていたら、あっという間に100本集まり、ワインに詳しくなりました。最近はホームパーティーを開き、旅先で食べた料理を作って楽しんでいます」